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腎臓内科医の診療日記 No.71

時々聴いていたラジオの音楽番組「ワールドロックナウ」のDJで音楽評論家の渋谷陽一さんが、昨年末から病気療養のため番組を休んでいる。渋谷さんは、ロッキングオンという洋楽ロックの雑誌の創刊メンバーの中心人物だった。雑誌は1970年代に創刊され、徐々に発行部数を伸ばして会社も大きくなっていった。ワールドロックナウは、1997年から続いている老舗の洋楽ロック番組で、渋谷さんが休みに入ったあとは代役のDJで続いているのだけれど、今年の3月末をもって番組の放送を終了する、と正式にアナウンスがあった。渋谷さんの病気の詳細は公表されていないので、病状が気になったが、ネットに情報は漏れていなかった。その代わりに、同じく雑誌の創刊メンバーで渋谷さんと仲の良かった松村雄策さんが、2年前に70才で亡くなっていたことを知った。それなりにショックだった。

思春期に入って基本的にコミュ障でオタク気質だった私は、高校に入学した1989年に、当時何となくラジオで聴いていた、当時のデザイン博覧会の臨時FM放送局が洋楽中心の放送だったのをきっかけに、洋楽を聞くようになった。皆より少し遅れて中二病にかかったのである。その後、私は順調に病気をコジらせて、開店間もないタワーレコード名古屋パルコ店で洋楽CDを買いあさるようになり、医学部に入学してからは、キャンパス内にある自分の白衣を入れるロッカーの扉に、ドアーズのジムモリソン(注:1971年に27才でドラッグで死んだアメリカのロックスター)の写真を貼った。同じ大学の、医学部ではない他の学部の人たちばかりのサークルに入り、医学部の中では常に疎外感を感じていた。全くもって非の打ち所がない、典型的な中二病の黒歴史である。大学に入った頃から、雑誌のロッキングオンを毎月購読するようになっていた。

ロッキングオンは、音楽アーティストの人物写真やライブの写真の他は、基本的に難解な音楽評論で埋め尽くされている。コミュ障な理系で言語能力の低かった私は、プロの音楽ライターの書く難しい文章を読んで、内容をよく理解できない事も多かった。ロックのCDを聞いて、どうしてこんな難しい事がたくさん書けるのだろう、書いた人は物凄く頭の良い人に違いない、と中二病特有の不安定な劣等感を感じながら読んでいた。そんな雑誌の中で、私が特にプレッシャーを感じる事なく、読みやすくて面白い文章を書いていたのが、渋谷さんと松村さんだった。当時既にポルシェを乗り回す社長になっていた渋谷さんは、多くの情報と独自の音楽分析を、誰が読んでも分かりやすく解説する一方で、松村さんは、大上段から振りかぶったような論評を書くことはなく、基本的には肩肘を張らない素直なエッセイを書いて、文章の最後でアーティストのライブや新譜と少しリンクさせていた。私は雑誌を購入すると、まず松村さんの書いたものを探して読むようになった。単行本の中で松村さんが作家の山口瞳さんのファンだと言っていたので、私も山口さんの本を読んで、同じくファンになった。当時は松村さんも山口さんも元気だったが、もう二人ともいなくなってしまった。

私は医学部を卒業して医者になり、結婚して子供ができて、青少年の健全な通過点であるロックからも、いつの間にかそれなりに距離が出来ていた。渋谷さんと松村さんの文章も、たまに忘れた頃に本屋で立ち読みするくらいになった。そして長い年月が経ち、スマートフォンが社会に普及して、アプリで過去一週間分の全国のラジオ番組を、遡って聞けるようになった。何か面白そうな番組がないか探したら、懐かしい名前のDJの音楽番組をみつけたので、お気に入り登録した。番組は、実は私が大学を卒業する前から続いていたのだけれど、私が知らなかっただけだった。番組では渋谷さんが昔から最も重要だとする「今の時代のロック」が多くかけられていたけれど、私は昔のように熱くはならなかった。番組を聴くこともあれば、聴かずに一週間過ぎることもあった。少し前のコロナ禍で、渋谷さんは専門家と政府の対応のまずさを早くから見抜いていて、番組の中ではっきりと自分の意見を述べていた。渋谷さんは昔と変わらずto be a rock and not to rollだった。私は、何だか誇らしかった。渋谷さんが最も評価するイギリスの歴史的バンド、レッドツェッペリンの不動の名曲を、聴いた事がない人は是非聴いてみてください。曲名は、今の渋谷さんにとっては縁起でもないけれど。

私にそれなりの影響を与えた人物の一人である松村雄策さんのご冥福をお祈りするとともに、病気療養中の渋谷さんの回復を心から願っております。頑張れ、渋谷陽一。