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腎臓内科医の診療日記 No.59

毎年、この時期にお世話になっている人が、若い頃はそれなりの車好きで、当時は人気のスポーツカーに乗っていたと聞いていたので、待ち合わせをした喫茶店まで、新しく購入した車で行くことにした。お店の外で待っていた男性は、それなりに目立つオープンの車に乗ってきた私に気づくとすぐに、子供のようなとびきりの笑顔になった。店に入ると男の店員さんがニコニコしながら、〇〇(車の会社名)ですね、いいですねと声をかけてきた。用件を済ませた帰りに男性を車で送っていったら、助手席で興奮しながら大変喜んでくれた。この車で道を走っていると、小さな男の子からは指をさされるし、コンビニの駐車場や道の駅では、知らない男性からよく声を掛けられる。自分が褒められている訳ではないけれど、嬉しくなる。イタリアのウン千万円するようなスーパーカーではないけれど、注目度は高くて、この車を見た男性を嫉妬させるというより幸せな気分にしてしまう、ある意味コスパの良い車である。ちなみに妻と娘は、恥ずかしくて絶対に乗りたくないと言って、私の車に乗ったことはない。男性と女性は、たぶん基本的なところで一生分かり合えない。

ずいぶん昔、大学生になって最初のアルバイトを始めたとき、職場の先輩がいつもピカピカの真っ白な国産のスポーツカーに乗っていた。車と言えば、自宅にあった4枚ドアの地味な大衆車のイメージしかなかったので、そのカッコいいスポーツカーは、自分にとって衝撃的だった。バンパーなどのボディの一部はスタイリッシュな社外品に交換されていて、路面と車体の下の隙間がとても狭かった。車の後ろのマフラーは、出口の部分が少し太くなっていて、車体から後ろに少し飛び出していて、競技用だから車検には通らない、と言っていた。タイヤは自分の家の車のものの2倍くらい幅がある太いタイヤがついていた。運転席で先輩がキーを回してアクセルを踏むと、「キュキュキュ、ボウッッ、ボウゥッ」と競技用のマフラーから大きな音が周囲に響き渡った。はっきり言って、車は違法改造車だった。細かく分ければ、いわゆる暴走族とは少し違うけれども、似たようなものだった。先輩は私とは違う種類の人のようで、知りあいに怖い人がいると言っていた。私はバイトを数か月でやめ、何年かして店も閉店した。

それから何年か経って、私は中古でみつけた、同じ色の同じ車種のスポーツカーに乗るようになった。研修医として働くようになってからは、給料をつぎこんで、エンジンやトランスミッションを自分好みの物に乗せ換えるなど、車をあちこち改造した。違法改造にならないように、改造車検を通して違反切符を切られないようにした。普通なら廃車にするくらいの大きな事故を起こしてしまった時も、きちんと直して乗り続けた。この車に、ずっと乗り続けていこうと思っていた。結婚してからは、妻のいる自宅に置いておくとマズイけれども捨てたくないものを、車に積んだカバンの中に入れたまま、毎日、病院に通勤した。

まもなく子供が生まれるなどして、車より大切なものが増えてきた。独身の頃とは異なる生活が始まってしばらくたったある日、朝起きると自宅の駐車場から車が消えていた。国産スポーツカーの盗難が増え始めていた時期だった。盗まれた車は、船で海外に運ばれて売り飛ばされてしまうとか、意外と近くの場所で売れそうな部品を全部外された後にスクラップにされてしまう、とか言われていた。自分の車がどうなったかは知る由もないが、乗せっぱなしにしていたカバンを含めて、とにかく色々な想い出ごと、一瞬でどこかへ行ってしまった。私はショックをうけたが、なぜかそれほど落ち込まなかった。自分が大切にしていた車は、自分の元を去っていったけれども、出来ればバラバラにされてしまうとかではなく、どこかで元気に走り続けていて欲しいと思った。