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腎臓内科医の診療日記㊴

最近、大人の男性の間で、ラジコンカーの人気が復活しているらしい。例の騒ぎで多くの人が旅行に行かなくなってしまって、おうち時間が増えた影響とも言われている。ラジコンカーには、お店で完成品として売られていて、購入したら電池を入れてすぐに遊べるようになっている簡単なものもあるが、私が小学生の頃にブームになって、最近ネット記事でとりあげられたのはキットラジコンと言って、購入して箱をあけると、多くの部品やネジ、モーターやタイヤなどがバラバラに入っていて、説明書をみながら何日もかけて組み立てていく、ちょっと手間のかかるものである。プロポと言われる操縦器やバッテリーも別売りで揃えなければいけない。作っていく過程も楽しめるし、完成した時の達成感や、こんなモノ作った俺すごいだろという子供なりの優越感も味わうことができ、出来上がった車を眺めてウットリしたり、実際に公園で走らせると、完成品ラジコンとは段違いのスピードで砂煙をあげてカッコ良く走りまわる、当時の小学校高学年男子にとっては大変魅力的な商品だった。もっと大人向けには、超小型エンジンを積んで、専用の燃料で走る本格的で高額なエンジンカーというのもあったが、一部の大人のマニア向けであって、小中学生の手には届かない代物だった。

 

当時のラジコンブームは、子供の私にとっては「楽しいから周りで流行っている」という程度の意味しか持たなかったが、自分が大人になって、「ビジネスチャンス」とか「販売戦略」とか「顧客ニーズ」などの、カネと欲にまみれた言葉に敏感に反応する年頃になって思い返してみると、模型会社がマンガ雑誌やテレビ番組などの他の媒体とコラボレートして一大市場を作り上げていたあたりも、実にうまい事やったな、と大人の感想を持ってしまう。ブームの中心となった模型会社では、当時は年に4回もボーナスが支給されたらしい。私も愛読していた月刊少年誌のラジコンマンガや新発売のラジコン特集、テレビのラジコンレースの番組をみて、「カッコいいな、楽しそうだな、ボクも欲しいな」と思った。ブームの初めの頃、クラスの友達が3人くらい早々に手に入れていたので、私も親に「みんな買ってもらっている、ボクだけ持っていない」と話して、ちょっと遅れて買ってもらった。最終的には40人学級のクラスのうち、ラジコンを所有していたのは6~7人くらいだったので、初期はもちろん、流行ってからも「みんな」というのは言い過ぎだったが、事情で買ってもらえない子も含めて、クラスの男子の多くが夢中になっていた。

 

それから間もなく、自分の趣味の中心をラジコンいじりが占めるようになった。速く走れるようにモーターを変えたり、ぶつけて壊れた部分を修理したり、ベアリングやオイルダンパーなどの高性能な別売り部品を次々とりつける、ということを飽きずに繰り返した。手先を使う細かい作業に、時間を忘れて没頭する日々が続いた。それから数年でラジコンブームも去っていき、いつのまにか自分の趣味も洋楽ロックを聴くことに変わっていったが、大人になって医者になり、患者さんのシャントの手術を自分が行うようになって、夢中になって手術している時間が楽しいと思った時、ああ昔と変わらないな、と思った。おそらく当時に身に着けた、手先の細かな感覚や集中力も役にたっている。ありがとう、子供の頃の俺。出来る事なら過去に戻って、無心でラジコンを分解している少年の自分の横にしゃがんで、肩を組んで抱きしめてやりたい。これから色々あるけれど、頑張れよ、と言ってやりたい。なんだか、しんみりしてきたな…。まてよ、80歳の自分が、時空を超えて今の自分に何か語りかけてくるとしたら、どんな事を言うのだろう。そちらも面白そうである。妄想するのは自由なので、都合のよい素敵な未来を勝手に描いてしまおう。どんな絵を描こうかな。このブログを書きながら、そんな事を考えていたところに、辛坊さんが、ヨットで太平洋の単独無寄港横断を成功させて、サンディエゴに到着したというニュースが入ってきた。65歳である。