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腎臓内科医の診療日記㉞

先月の原稿の最後に、「アナウンサーの辛抱さん」と書いてしまったが、正しくは、「ニュースキャスターの辛坊さん」である。たぶん伝えたい事はだいたい伝わっていると思うし、新聞やテレビなどの公共の電波で、不特定多数の人に間違った情報を流して社会を混乱に陥れた訳ではないので、別にそのままでも良かったのだが、なんとなく気持ち悪いので訂正しておく。辛坊さんがアナウンサーだったのは昔の話で、以前、読売テレビのアナウンサーだった頃もあったが、現在はニュースキャスターという肩書になっている。どんな違いがあるのかというと、アナウンサーは、原稿の通りに正確に情報を伝える人で、ニュースキャスターは、原稿に独自の洞察を加えて情報をわかりやすく伝える人、という意味だそうだ。スチュワーデスがキャビンアテンダントに呼び名が変わったというような、主に新旧の違いではないようで、私と同年代の安住さんはアナウンサーという肩書きなっているので、両方現役で使われている言葉である。あと、漢字についても、辛口坊やが正解であって、我慢している人ではない。自分の不正確な思い込みや不注意な漢字変換のまま、原稿を仕上げてしまってから、あとから間違いに気づくことは、よくある。国語のテストなら、前者は2点減点、後者は1点減点くらいで、厳しい先生なら、もっと減点されるかもしれない。

小学校の頃のテストを思い出してみると、その集団に属する人の学習能力や問題の難しさにもよるだろうが、乱暴な印象で言ってしまえば、100点満点をとれる人がクラスで5人未満、90点以上はもう少し多くて、多くの人は60~70点くらいだっただろう。もっと点数の低い人もいた。解答を間違えるパターンは、問題の意味を理解できていない、問題を解くための知識がない、間違った知識を信じ込んでいる、単なる思い違い、などいろいろなパターンがある。そして、大人になれば、自然に100点の解答を書けるようになるかと言うと、決してそんな事はない。大人になって語彙力が増えた分、変な理屈を駆使して自分を正当化する。それを聞いた相手が即座に理解できずに、どういう意味だろうかと考え込んでしまうと、自分が正しいので相手が反論できないと思い込む。基本的に平和主義の他人は、ワザワザ自分の間違いを指摘してくれない。いろいろな理由で、私を含めて多くの人がどこかで間違ったまま、堂々と生きている。自分が間違っているかもしれないと一瞬思ったり指摘されても、素直に考え直して修正できる人は少なく、多くは過去の自分の思考に執着する。

ハッキリ言ってしまえば、小学校のテストの点数分布は、大人の社会にそれなりに持ち越している。ひょっとすると、高得点者が減って、もっと低い領域に皆が分布しているかもしれない。世論は、そんなところから発生する騒音である。もちろん私も、今まさに騒音を出している。騒音だと気づけば、それなりに音量を下げなくてはいけないが、厄介な事に、騒音を出すのはスッキリして気持ちよい。爆音マフラーの暴走族という訳ではないので、月に1度の原稿くらいは大目にみてほしいと思う。そして意見は言うが、もしかして自分が間違っているかもしれないという謙虚さを忘れず、自分を常に客観視して、間違いがあれば方向修正する、そんなところがあれば良いと思う。人からの反対意見は、反射的に否定したり、鵜呑みにしたりせず、冷静に分析すればよい。専門家や政治家なら、ある程度自信に満ちた態度で人々を導いていく必要があるだろうが、必要な時に方向修正できずに自説に執着し続けていると、ただの救いようのないウマシカにみえてしまう。ウマシカなリーダーに従わなければいけないのは残念である。間違える人がウマシカなのではない。

ちなみに小学生の頃、返却されてきた8枚の答案用紙がすべて100点だった事がある。テストの成績はよいが、自分に自信のない子供時代だった。だんだん年をとって、変な思い込みが増えていき、間違えることが多くなってきた。かつて、満点の答案用紙を喜んでいた親は、認知機能が低下して、基本的に間違った事しか言わなくなった。全部ひっくるめて、仕方がないと諦めることにした。諦めたら、生きるのが少し楽になった。