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腎臓内科医の診療日記 No.54

ふるさと納税で注文した、車やバイクを整備するときに使う工具一式が自宅に届いて、箱を開けてみると、昨年注文して既に持っていた工具一式と、ほとんど一緒の工具が入っていた。しまったと後悔したが、ふるさと納税は寄付なので、返品や交換が出来ない。私は合理主義的傾向が強いところがあって、こういう分かりやすい無駄遣いは、心理的ダメージが大きい。家族の誰かが、そのうち自分と同じような趣味を持って、余った工具を使ってくれるかもしれないと妄想して、ようやく自分をなぐさめた。工作好きな娘②よ、工具いらんかね、と娘をみると、最近は家庭用小型ゲーム機のネットゲームで遊ぶのに忙しいようである。私も子供の頃、大ヒットした例のテレビゲームに夢中になっていたのを思い出した。

究極の無駄遣いは、時間の無駄遣いである。言い換えれば人生の無駄遣いなのだけれど、これに関して私は長いこと、大変な無駄遣いをして生きてきた。当時はそれなりに楽しく過ごしていたのだけれど、今になって思えば、なんて勿体ない時間の使い方をしてきたのだろうと思う。尾崎豊のヒット曲で、「少しぐらいの時は、無駄にしてもいいさ」なんて歌があったが、私の無駄にした時間は少しぐらいでは済まないので、尾崎の歌のせいにする訳にもいかない。当時楽しかったことの中で、今になっても充実感とともに「楽しかった」と思いだせることと、「無駄な時間を過ごしてしまった」と後悔する事があって、それは私の場合「リアル」か「アンリアル」か、というあたりが境目になっている。年を取って寿命が迫ってきて、人生を振り返った時に、前者が少しでも多い人生が、豊かな人生だ。テレビの娯楽番組や、ゲームなどの仮想空間で過ごした時間、ギャンブルの高揚感などのアンリアルなことしか思い出せない人生では、なんだか寂しい。3DVR(立体的に見える仮想現実空間)の技術も飛躍的に進んでいるが、やはりリアルな体験には及ばない。

ところで男性の場合、仕事をしている若いうちはいろいろ我慢して、定年退職してから、妻と一緒にいろんな所へ遊びに行って人生を楽しもう、と漠然と考えている場合も多い。しかし多くの場合、妻はそんな事まったく期待しておらず、その頃にはむしろ夫から解放されたいと思っている。やる事がない夫は、妻の後を毎日ついて回り、朝食を食べながら昼食はナンだと聞いて、ますますウザがられる。仕方がないから部屋に閉じこもって一日中テレビをつけて、ネット掲示板に粘着質なコメントを書き続ける。男性の老後はウッカリするとそんなコトになってしまう。やはり今のうちから、きちんと人生の楽しみ方を身に着けておいた方がよい。若いうちから活動的に生きている人は、それだけ健康寿命も長く、年齢を重ねてもいろいろな所へ出かけて人生を楽しんでいる。そんな事を考えながら40台最後の誕生日を迎え、決意を新たに部屋で3DVRマシンを頭からかぶって電源を入れると、セクシーな美女が目の前に現れて、私に向かって話しかけてきた。仮想現実空間スゲー‼