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腎臓内科医の診療日記 No.51

離れて暮らす引きこもりがちな母親を、認知症の進行予防のために週末の夕方に食事に連れ出すことにした。私は夕方以降、アルコールが無いと食欲が湧かない体質になっているので、お酒を飲まない妻に車で送迎してもらえると助かるのだが、とっくの昔に嫁姑関係がコジれまくって、一緒に食事をするどころか、送ってもらうことすら叶わない。古来、多くの男性を悩ませ続けてきた嫁姑問題は、医学部受験で多くの難問と闘ってきた私にも、全く歯が立たなかった。解けない問題に固執して試験時間が終了してしまうとマズイので、自分に解ける問題を着実に解いていかなければいけない。そんな訳で、自分がバスに乗って実家の母親を迎えに行き、近くの食事処で食事を済ませ、酔っ払ってバスで帰ることにした。手間はかかるが、色々な意味で確実である。こんな解決法を見つけられたのも、若い頃に受験勉強を頑張ったおかげだろう。ホントか、おい。

そんな訳で、自分が中学生や高校生の頃に通学で使っていたバスに久しぶりに乗ってみると、帰宅時間と重なっていたのもあって、座席はほぼ満席だった。特にその時は多かったと思うが、座っている人たちの8割くらいが、スマホを片手に無言で画面を見つめていた。画面を覗いて何をしているのか見てみると、漫画を読んでいたり、テレビ番組や映画を見ていたり、ゲームに熱中していたりだった。私がバス通学を始めた中学生の頃は、少し記憶が曖昧になっているが、文庫本をバスの中で読んでいることが多かったように思う。文庫本の内容は、今でいうライトノベルだったり、新潮文庫の夏の100冊だったり、色々だった。高校に入ってからも同じバスの通学が続いて、間もなく重い中二病にかかって(中二病は一般的に中学生の時にかかるが、私は成長が遅れていた)、カセットテープに編集した洋楽ロックを、当時流行っていたウォークマンで聴きながら通学するようになった。周囲の大人たちは、狭い空間に合わせて畳んだ新聞を窮屈そうに読んでいたり、文庫本や雑誌週刊誌を読んでいたり、ヘッドフォンで音楽を聞いていたり、景色を眺めていたり、寝ていたりだった。

時は流れていつの間にか、バスの中は、小さな画面を見つめる人ばかりになった。少し古い映画で、人類が実は高度に発達した人工知能に既に支配されていて、人々が現実だと思っているものが、実は囚われの身になった人間が脳に電気信号を送られて、強制的に見させられている夢だった、という内容の映画を思い出した。スマートフォンをいじり続ける人々を見ていると、どことなく人間らしさが希薄である。一体全体このバスは、どこに向かって走っているのだろうか。スマートフォンに支配された乗客たちと、昔使っていた通学バスに乗り、幼少期を過ごしたノスタルジックな風景の中にある古い食事処に行って、認知機能が落ちて私を誰だか認識できなくなった母親と一緒に夕食を食べる。そんな異次元な時間を週末に過ごすことになった。自分は果たしていつまで正気でいられるのだろうか。あるいは、もう手遅れなのかもしれない・・・キャアアアアアア・・・。暑くなってきたので、こんな妄想で涼んでみても良いのではないでしょうか。