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腎臓内科医の診療日記㊺

ある患者さんが90歳を超えて、認知機能も衰えて寝たきりとなり、意思の疎通もできなくなっていた。腎臓の働きもかなり落ちていて、本来なら尿から捨てられる毒素も体にずいぶんたまっていた。ご家族は熱心な方で、透析の準備をして欲しい、シャントの手術(透析を行うために必要な血管をつくる手術)をやってほしい、という希望をお持ちだった。

まだ元気に仕事をしている腎不全の患者さんに、病気が進んできているので、透析の準備の(シャントの)手術をしましょうと伝えると、まだ待って欲しいと言われた。仕方がないので、手術を先延ばしにしたが、診察にくるたびに血液検査はどんどん悪くなっていく。毎回のように手術を勧めているが、なかなか首を縦にふってもらえない。このままでは、透析が必要な時にシャントが無いので、首から太いカテーテルを入れて透析を始めながらシャントを作ることになる。その分、入院期間は長くなるし、危険な事も増える。

これまで、結構な数の患者さんに、「透析をやらないと死んでしまうので、やりたくないでしょうが、諦めてやりましょう」という話をして、シャントの手術や透析の開始に立ち会ってきた。90歳を超えているけれど、元気に歩けて普通に話す事ができた患者さんは、本人や家族が「こんな年齢なので、透析はやりません」と言ったが、それなりにお話して透析を始めた事もあったし、若かったが、重い合併症によって意思の疎通も出来ず、寝たきりになっていた方に対しては、腎臓が悪くなっても透析は行わないことにして、尿毒症で終末期を迎えられた方もいた。

本人や家族の考え方が、医療を提供する側の考えと異なっている場合、こちらの考えや見通しを丁寧に説明すると、多くの場合は納得して同意してもらえるが、たまにそうならずに平行線となることもある。数学などのように明解な解答がある問題と違って、医療現場でおきる意見のすれ違いは、片方あるいは双方の思い込みに対する執着が強い場合、修正することや意見を擦り合わせる事がなかなか難しい。ひょっとすると、こちらが冷静で客観的だと思い込んでいるだけかもしれない。私は、意思の疎通ができて元気な方は、年齢に関わらず必要な時に透析を始めた方がよいと思い込んでいるし、意志の疎通が出来なくなって動けない状態であれば、尿毒症になっても、透析はやらずに寿命としてあきらめた方がよい、と思い込んでいる。そして、その考えが正しい事は証明できない。

半世紀以上前の1969年に、「Confusion will be my epitaph (混乱こそ我が墓碑銘)」、「21st Century Schizoid Man (21世紀の精神異常者)」という、泣く子も黙る別次元の歌詞を、とても美しいメロディーの曲に乗せて、あるロックバンドがデビューした。そして、半世紀以上たった今年も、元気に来日公演を果たした。他の同時代のバンドと異なるのは、彼らはこの間ずっと音楽的に進化し続けて、常に別格の音楽集団として君臨し続けているところである。正しいことなど何もない、それが唯一正しい事だ、それでもお前は正気でいられるか?やたら高額なコンサートチケットを、「はい、わかりました」と文句も言わず素直に購入し、寒くなりかけた11月末の小雨の降る中、母校の医学部キャンパスの近くの公園に古くからあるコンサート会場に、ひとり足を運んだ。ひょっとすると、私は死ぬまで中二病が治らないのかもしれない。中二病という現代用語がわからない方は、ググって(google検索して)下さい。