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腎臓内科医の診療日記㊹

気づくとアラフィフ(※50歳前後の年齢を指す現代用語)になっていた。四半世紀前に医者になって、幸い仕事が面白かったので、平日も比較的夜遅くまで病院に残り、休日も朝から病院に出勤して、そのまま一日過ぎることも多かった。自宅に戻ってからも、入院患者や救急外来に来た患者の相談の電話が病院からかかってきて、自宅や外出先から病院に駆け付ける事もよくあった。大変だったけれども、充実した毎日だった。年月がたって、世の中では働き方改革がすすみ、病院でも残業を減らすよう指示があり、自分自身も最前線から一歩引いて後輩を指導する立場になったのもあって、病院に縛られない時間が多くなった。そうしたら、早く帰宅した夜や休日に、何をして過ごしたら良いのかわからなくなった。40歳を超えた頃のことだった。

振り返って考えてみると、自分は気づかぬうちに、一種の仕事中毒になってしまっていたようだ。仕事に依存して自分を保っていたが、依存する対象がなくなって、不安定になった。私は運よく気づいて、方向修正することが出来たが、実はワーカホリックになったままの中高年の医者や、なりかけている若い医者は、結構多い。患者さんの立場からすると、それほど悪い事ではないように思えるかもしれないが、医者の不養生という言葉もあるくらいで、自分を見失っていると突然体調不良になって働けなくなってしまったり、気分のムラが激しくなったり、ひどいと突然死してしまう。

医者は、法的にその資格を持っていないと出来ない行為も多いため、患者さんや職場のスタッフから、色々な場面で必要とされる。そうすると、「自分が人の役にたっている」という満足感が得られ、ある種の中毒性がある。そのあたりに気をとられてしまうと、人の期待に応えることが目的となって自分を見失ってしまったり、時に傲慢になったりする。しかし考えてみると、医者は人のためというより、自分自身の興味や探求心のために働いていることも多い。結果的に他人に喜んでもらえるのは、ありがたい話である。そう思わない医者もいるかもしれないが、私はそう思う。それが自分の中ではっきりしてくると、自分の仕事で人から感謝されると、むしろ相手に対して感謝の気持ちが生まれてくる。自分も他人も、同じように大切にできるようになる。

そんなこんなで、私も本来の自分を取り戻し、休日を楽しめるようになってきた。どの医者もそういう道をたどる訳ではないと思うが、私はそうだった。