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腎臓内科医の診療日記㊷

夏の感染拡大が始まったばかりの頃、私が帰宅してリビングに入ると、それまで素顔で談笑していた妻と2人の娘が急に静まり、3人揃ってそばに置いてあったマスクを一瞬で装着した。どっちの娘だったか忘れたが、妻よりはやさしい口調で、「マスクして石鹸で手洗いとうがい」と私に指示した。私は素直に従い、逃げるように2階の自分の部屋に駆け込み、扉を閉めて息をひそめた。「街の風は凍てついたまま吹きつけ心隠さなければ~、大切なものを何ひとつ守りきれやしないから~」と、尾崎豊の名曲が頭の中をよぎった。いや、どちらかと言えば、藤岡藤巻の「いいか息子よ、男はウチから一歩外に出たら七人の敵が待っているというのはウソだ、本当の敵はウチの中にいる~」か。そんな事を考えた。あれ、このネタ前にも使ったか?ま、いいか。まもなく私は、何度目かのお父さんロックダウンを宣告され、病院の隣の隠れ家での単身生活となった。

こんな事に負けてられるか、と私は部屋の窓から空を見上げ、哀れなロックダウン生活を精一杯楽しんでやろうという決意を新たに、パソコンを開き、かねてから目をつけていた最新の家庭用VR(ブイアール)マシンをポチっと購入した。VRとはバーチャルリアリティー(仮想現実)の略で、21世紀の最先端技術の一つである。詳しい人の解説によると、2016年ごろから毎年「今年はVR元年」と言われ続けていて、つまり、マニアには注目されるがイマイチ伸び悩んでいた業界が、今回私が購入した商品の大ヒットもあって、今年ようやくVR2年になったそうである。VRの技術は少し前から医療現場でも応用されていて、ダヴィンチが有名である。ダヴィンチとは最先端のロボット手術を行うシステムの名称なのだが、別にドラえもんやC-3PO(スリーピオ:スターウォーズに出てくる金色のロボット)のようなAI(人工知能)を持つヒト型ロボットが外科医の代わりに手術をしてくれる訳ではない。しいて言えば、R2-D2(アールツーディーツー:スターウォーズの銀色と青色のずん胴ロボット)を外科医がリモコン操作して手術を行う感じと言った方が、C-3POの喩えより、ほんのちょっとだけ近いだろうか。例えばおなかの手術を行う時には、何か所かおなかに小さい穴をあけて、ロボットのアームについている鉗子やカメラをそこから差し込み、カメラで撮影された映像を外科医がモニターでみながら、遠隔操作で鉗子を動かして手術を行う。VRならではの手術で、理屈上は執刀する外科医が外国にいながらでも、日本国内の患者の手術が可能である。画面に映し出される映像はハイビジョンの3D立体映像で、鉗子もアクロバティックで精密な動きが出来るので、従来の腹腔鏡手術では困難だった手術も行えるようになっている。

私が購入したVRマシンは家庭用の小型で、かつて悪い意味で一世を風靡した新興宗教のヘッドギアのような小型の装置を、目の前にモニターがくるよう頭からかぶって、左右の手で別々にコントローラーを握るようになっている。本体とコントローラーはすべて無線で動作するので自由度が高く、起動するためにパソコンを必要としないのも、ヒットの理由なのだろう。上下左右360度の全方位カメラで撮影されたVR映像データを元に、装着した人の視野に合った映像がヘッドセットの動きに連動して瞬時に計算されて、リアルタイムで両目の前の小型モニターに映し出され、撮影時の音声が耳のそばの小型スピーカーから再生される。海外の美術館に入って、上を見上げれば天井のステンドグラスが見られるし、左右をキョロキョロすれば、壁にかかった絵や彫刻をみることが出来る。左目と右目の前にそれぞれ独立した小型モニターがあるので、左右の目に相当する2台の全方位カメラで撮影されたコンテンツを別々に左右のモニターに映し出せば、見ている人には立体的に認識されて、あたかも自分がその場にいる感覚になる。エベレストに登頂して、本来なら命がけの登山家しか見られなかった360度全方位遠近感のあるヒマラヤ山脈の絶景を見渡したり、ニューヨークやパリの街中、マチュピチュやエジプトの遺跡、南国のビーチなどに、自粛期間中に瞬時に移動することもできる。体力の衰えた老人やライセンスを持たない人がダイバーとして海にもぐって海底散歩したり、そこにサメが迫ってくる体験も出来てしまう。VRのゲームなども充実していて、ゲーム好きの人にとっては任天堂ファミコンが発売された時のような衝撃だろう。他にも色々な応用が利くので、想像してみてほしい。リアルタイムの会議やコンサート、イベントも可能である。ところで、ビデオデッキが急速に普及した原動力はなんだっただろうか。

こういう最先端技術のつまった面白マシンを家族にも体験させてあげようと、自宅に届いた郵便物を取りに寄った時に、さっそく娘にヘッドギアを自慢して体験してもらった。どうだ、お父さんは家族から追い出されても、たくましく生きているぞ。海外にあこがれを持つ娘はニューヨークの雑踏のVR映像をみているようで、部屋の中でヘッドギアを装着した頭を上下左右にキョロキョロ動かして、何かに手をふったり英語でしゃべったり、時に奇声をあげたりしている。VR体験中の人って、他人からみると、こんなに間抜けに見えるのか…。自分がヘッドギアをカブっている姿は人に見られないように気を付けよう、と思った。