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腎臓内科医の診療日記㉕

3月のある日、私が家族からロックダウンされた。医療従事者である私は、病院の中で知らない間にウイルスに感染する機会も多いだろうから、知らずに自宅に帰ってきて、妻や子供に移してもらっては迷惑だ、病気がちな老人も身近にいるので、絶対ウツしてくれるな、というゴモットモな理由で、たぶん武漢の次くらいの早さで私がロックダウンされた。迅速で強い決断力のある頼もしい妻だな、と感心しながら、私はトボトボと自宅を後にした。男は一歩家の外に出たら7人の敵がいるというのはウソだ、本当の敵は家の中に居る~。そんな歌を思い出した。

向かう先は、病院の隣にある仮住まいである。普段から、何かと病院の近くに部屋が1つあると便利なので、あらかじめ借りてあった安い部屋で、いわゆる男の第3の居場所とも言える。少しずつ自分の趣味的なものを増やしていって、それなりの秘密基地が出来上がっている。これまでも、何かにつけその部屋で寝泊まりすることはあったのだが、元々料理などは面倒で、時間がかかるだけの無駄な作業だと思い込んでいたので、その部屋に泊まるときの食事は毎回出来合いの総菜を買ってくることで済ませていたし、洗濯なんかも自宅に持って帰って妻に洗ってもらっていた。だから、料理の仕方も洗濯機の使い方もよくわからない。だが、今回は長期戦になりそうな予感がする。食べ物を買いに外出するのも、手間や感染のリスクなど考えると、回数は少ない方がよい。そんな事を考えて、スーパーマーケットでたまたま目についた、「ピーマンを炒めて混ぜるだけ」という、ド素人の私でも出来そうだと思わせる素敵なキャッチフレーズの青椒肉絲(チンジャオロース)の素と、5個入り袋詰めピーマンを買ってきて、まな板の上に並べた。あ、そうそう、と冷蔵庫から缶ビールを取り出し、プシュッと開けて一口飲み、ビールうめえなぁとか思いながら、短冊切りってこんな感じか、とザクザク包丁で切ってみると、ん~何だか面白いぞ。次はフライパンに油を引いてピーマンをいためるのか。ジュージュージュー。何だか楽しい音だな。ピーマンの色や固さは、こうやって変わっていくんだな。もう一口ビール、ゴクゴク。この辺で、青椒肉絲の素を混ぜるのか。うおっ、油が跳ねた、あちっ。そういや、中華料理はでかい鍋で豪快にやってたな。このフライパンではちょっと小さすぎるかな。などと思いながら、数分でパッケージと同じような青椒肉絲が出来上がった。

フライパンから皿に盛りつけて、部屋に置いてあるキャンプ用テーブルに並べ、ビールを飲みながら、出来上がった青椒肉絲を口に運ぶと、これがとてもうまい。これまでの出来合いの惣菜や刺身よりも旨い。そうか、自分で手間暇かけて作ったものを食べるって、こんな満足感があるんだな、と、たぶん普通の人は高校生や大学生くらいの時に既に当たり前に分かっている事を、40代後半にもなって、ようやく理解することが出来た。ずいぶん遅かったが、死ぬ前に分かってよかった。このあたりを広げていけば、いろいろ出来るようになりそうだな。最近は、定年退職後に妻に捨てられ、途方に暮れる何も出来ないミジメな夫が社会問題化しているが、ひょっとすると、私は自分の食事の準備くらいなら、その頃には出来るようになっているかもしれない。そんな希望すら感じられる、奇跡の体験だった。あ、捨てられないように、ちゃんとオリコウにしておいた方がよいのか。それが出来るかどうかは、わからない。